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教員氏名 | 前屋敷 太郎 |
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ローマ字 | Maeyashiki Taro |
所属学部 | 経済学部 |
所属学科 | 経済・経営学科 |
職 名 | 講師 |
所属学部(兼任1) | 共通教育センター |
研究室 | 深耕館4階 S417 |
研究室電話番号 | 093-693-3121 |
メールアドレス | t-maeyashiki@fains.jp |
オフィスアワー | 木曜日 12:30 ~14:00 |
学生諸君へ | 学生のみなさん。こんにちは!皆さんは英語に対してどのような印象を持っていますか?英語が苦手で嫌いな方もいると思いますが、英語ができるとたくさんの利点があります。1. 大学受験、検定試験、昇進試験に役立つ。2. 海外旅行で役立つ。3. 仕事で使う機会がある。 4. メールやフェイスブックで使える。5. 外国語で書かれた資料が読める。6. 外国の新聞、雑誌、ウェッブサイトを読める。7. 外国の友人ができる。8. 外国の文学作品が読める。 9. 外国の映画やオペラを原語で楽しめ、外国語の歌も歌える。10.海外生活ができる。いかがでしょうか?これらのことができるときっと楽しいと思います。 また、私の経験上、日本国内の駅などで道に迷っていたり、トラブルで困っている外国の方を見つけた時に、助けたりしたこともあります。このように英語は必ずどこかで役立ちます。 英語の発音を気にするのではなく、伝えたり、コミュニケーションができればブロークン英語でもいいのです。恥ずかしがらず、気楽に英語にチャレンジしてみませんか?応援しています。 |
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取得学位 | 修士(英米言語文化)の授与 |
学歴 | カリフォルニア州立大学English専攻入学 カリフォルニア州立大学中退 北九州市立大学外国語学部外国語学科英語専攻編入 北九州市立大学外国語学部外国語学科英語専攻卒業 北九州市立大学大学院社会システム研究科言語文化専攻修士課程(博士前期課程)入学 北九州市立大学大学院社会システム研究科言語文化専攻修士課程(博士前期課程)卒業 北九州市立大学大学院社会システム研究科地域社会システム専攻博士課程(博士後期課程)入学 北九州市立大学大学院社会システム研究科地域社会システム専攻博士課程(博士後期課程)単位取得満期退学 |
専門分野 | アメリカ文学(マーク・トウェイン等) |
所属学会名 | 北九州アメリカ文学会 九州アメリカ文学会 日本アメリカ文学学会 日本英文学会 九州英文学会 日本マーク・トウェイン協会 |
担当授業科目 | 英語Ⅰ、英語II、英語III、英語IV スキルアップ講座R スキルアップ講座S スキルアップ講座B スキルアップ講座C ことばと異文化(異文化を考える) 英語コミュニケーション I 英語コミュニケーションII TOEIC入門 |
種 類 | 著書・ 学術論文の名称 |
単著 共著 |
発行 年月等 |
発行所等 | 概 要 |
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著書 | |||||
著書 | What It Means to Be Human: Moral and Existential Questions in British and American Literature | 2025.8.30 | Notion Press | This book, "What It Means to Be Human: Moral and Existential Questions in British and American Literature," is a selective anthology of scholarly essays examining the enormous, highly complex domain of American and British literature written from the 17th to the 21st century, its moral, psychological, philosophical and sociological implications, and close, careful engagement with a wide range of texts. All chapters place the reader in conversation with particular texts that illuminate both the specific time and place as well as the perennial issues wired into the human experience. The spiritual despair of Melville’s Captain Ahab; the moral confusion of Twain’s Huck Finn; the metaphysical skepticism of "The Mysterious Stranger"; the confidence of Charlotte Brontë to declare female empowerment, the anguished arguments about guilt and the impossibility of redemption in Ian McEwan’s work – these essays reveal and facilitate the contradictions, discomfort and desire, in ourselves and the collective sense of community in literature.Even more, it is the investigation of connections the collection makes across time and genre. Thus it is possible to see how Melville’s metaphysical fixation was countered by Thoreau’s gentle longing to be simply. Salinger’s alienation of youth can be read against Hawthorne’s figurative dark tales about tragic faith and disenchantment. The psychological destruction of The Yellow Wallpaper, and the absurdity of existence in "The Sun Also Rises" articulated within stories of spiritual revolts and commercial critique. The Fool’s ironic insight in Shakespeare’s "King Lear" functions as a valid allegorical precursor for post-modernist fragmentation of the quest towards truth as played out by the self-searching quest of Holden Caulfield.The common thread that runs through broad topics of literary inquiry is the awareness that, at its best, literature does not only reflect reality; it displaces relations, contorts certainties, and disturbs complacency within our self-understanding of justice, love, freedom and the tenuous scaffolding of self. These fictions will never provide simple solutions or reliable truths; they will leave us with discomfort, confusion, contradictions, and moral evasion. And most importantly, they will always invite us to contemplate what one thinks about those who sit at the intersection of aesthetics and ethics. I hope this book is a site for ongoing contemplation and discussion, and perhaps a source of motivation for the readers to go back to the literary works to interrogate, resist, recall, and humanize. | |
著書 | Decoding the Enigma of "NATURAL MAN" in Mark Twain's Works | 単著 | 2024.5.8 | Notion Press | Decoding the Enigma of "NATURAL MAN" in Mark Twain's Works(「マーク・トウェイン作品における「自然人」の謎を解く」)は、ジャン=ジャック・ルソーの哲学の礎石のひとつである「自然人」という現象を、マーク・トウェインがどのように表現したのか、アメリカ人作家の真髄に迫る思いがけない旅である。本書は、マーク・トウェインのファンタジックな文学世界のユニークな構想を、最も高貴で哲学的なトピックのひとつである「自然人」という表象を用いて解き明かした、このジャンルではまったく新しい本である。「自然人」が実際にはいかに自然であるか、自由であるか、無垢であるかを探っていく。この著作は、文学の世界にとどまらず、トウェインの内面的な本質分析、彼の人生、彼の哲学、社会の発展過程に対する懐疑、かろうじて目につく理想の単純化傾向などに、道徳的な観点から踏み込んでいる。ルソーの「自然人」という理論的概念に言及し、マーク・トウェインは本質的にこの概念を物語の登場人物の中に描いていたと言っても過言ではない。本書は、人間の本質と外的な制約の破壊可能性に関連する高度な哲学的問題のプリズムを通して、トウェインを違った角度から見ることを可能にするものである。 https://www.amazon.in/Decoding-Enigma-NATURAL-Twains-Works/dp/B0D3M1DWJS/ref=sr_1_1?crid=EXWX41M2AHJX&dib=eyJ2IjoiMSJ9.SXHByX9q48HnzzaFLbBo9g.gm_4C3HfNc82bhgOcrWsxW4f_Nj_tMvVb7I9R1zaIx8&dib_tag=se&keywords=taro+maeyashiki&qid=1715477698&sprefix=taro+maeyashik%2Caps%2C439&sr=8-1 |
著書 | "A Moralist Gone Wild" | 単著 | 2020.10.31 | Blue Sky Publishing | 『A Moralist Gone Wild』の中で、マーク・トウェインの知的進化の弧をたどり、作者の哲学的・道徳的スタンスが徐々に変化し、それがどのように彼の著作に反映されているかを示している。トウェインの 「波乱に満ちた 」生涯の概観から始まり、トム・ソーヤーとハックルベリー・フィンと共にジャクソン島で社会のルールから 「自由 」を手に入れ、ハックと家出奴隷ジムと共にいかだでミシシッピ川を下り、ハックとトムと共に 「インディアンの中の 」野生の西部へと旅立つ。そのヒロインは、この小説の執筆中に髄膜炎で悲劇的な死を遂げた作者自身の娘スージーに似ている。各章ごとに新鮮な洞察を提供するこの画期的な著作は、トウェインの初期の作品に見られる機知に富んだユーモアと、晩年の著作に見られる辛辣な世界観とのギャップを埋めるのに大いに貢献している著書である。 |
学術論文 | |||||
学術論文 | Mark Twain's Menippean Satire and the Ethics of Lying in "Was it Heaven? Or Hell?" | 単著 | 2023.11.25 | 九州アメリカ文学会会誌64号 | この論文はマーク・トウェインの短編「天国か地獄か?」をメニッペア風の風刺として分析する。メニッペア風風刺は一般的な風刺やユーモアと異なり、人々の精神的態度や思想を批判的に描く。トウェインの作品ではこの手法が使用されている。主焦点は「天国か地獄か?」における「うそをつくことの倫理」に関する問題。この短編は病床の母親と家族が病気に関する真実をどう扱うかを描き、うその倫理的側面に焦点を当てる。トウェインはうそが時に有益であり、倫理的な選択が常に明確でないことを探求する。他のトウェイン作品との比較を通じてメニッペア風の風刺的特徴を分析し、現代社会における「嘘」の倫理というテーマの普遍性と時代を超えた重要性を強調。トウェインの作品が際立つのは、提起される問題の複雑さと人間の精神的態度や思想に対する批判的な探求にある。 |
学術論文 | A New Interpretation of Tom Sawyer as “The Imperfect but Gifted Child” in The Adventures of Tom Sawyer | 単著 | 2023.4.30 | 北九州アメリカ文学研究会 | なぜかMark Twain(1835-1910)が小説の主人公に据える登場人物は、社会的弱者が多い。Huck Finnは、母親に死なれ、父親からは暴力を振るわれ、まともな食事にもありつけない浮浪児。そしてアフリカ系アメリカ人Jimは、名字も与えられない、人間以下の存在として扱われる奴隷である。一見幸せそうに見えるTom Sawyerでさえ、両親を亡くし、叔母に引き取られる前までは孤児だった。しかし、Twainの小説作品では社会的弱者であるキャラクターたちがヒーローとして活躍し、人気者でもある。実際Twainは実生活でも社会的弱者に共感を寄せ、アフリカ系アメリカ青年のために教育資金を援助したり、視覚と聴覚障害のあるHelen Kellerのための教育資金援助をHenry H. Rogersに要請したりして、彼らの活躍を後押ししている。 本発表はThe Adventures of Tom Sawyer (1876) におけるTom SawyerのADHD (Attention-Deficit/Hyperactivity Disorder)という特異性に秘められた才能(リーダーシップ、問題解決能力など)に焦点を当てる。 興味深いことに、本作品でTomの注意欠陥多動性的行為は複数回描写されている。例えばApple Baumが指摘しているように、本作第7章では “The harder Tom tried to fasten his mind on his book, the more his mind wandered” (一生懸命、心を自分の教科書に集中させようとすればするほど、トムのあれこれの考えは、ますますさまよい始めた。)とADHDの特徴を思わせる文が書かれている。この箇所から推定できることは、Twainもその当時は認知されていなかったADHDの症状に興味を持っていた可能性があるということだ。またTwainがTomの特異性のネガティブな面だけを、あげつらって描写したのではないことも重要である。例としてTomは、普段、注意散漫になりがちだが、ある一つのものに興味を持つと、人並み以上の集中力を発揮する。 ADHDは精神医学の観点からネガティブな面だけに焦点があたってきたが、最新の研究において、Dale Archerが指摘しているように、ADHDの特別な優位性が明らかにされようとしている。Mathew Smithの考え方も、この優位性に着目している。SmithはTomのHeroism(英雄的資質)、Leadership(指導力)、Problem Solving skills(問題解決能力)の原動力はADHDにあるという。ただSmithは原文においてのTom SawyerのADHDの行動癖と優位性について、ほとんど触れていない。 よって本発表では、19世紀当時、“imperfect child”と見なされていた、現代であればADHDと診断されるような症例を示す子供たちに対するネガティブなイメージを打破しうる特性を、いかにThe Adventures of Tom Sawyerが提示しているのか、Tom Sayerを例に検討した。 |
学術論文 | Rousseau's Emile and Mark Twain's Huck Finn: A Reassessment | 単著 | 2021.11.25 | 九州アメリカ文学会 62号 | マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィンの冒険』(1885年)の主人公ハック・フィンと、18世紀の哲学者ジャン=ジャック・ルソーの『エミール、あるいは教育について』(1762年)の主人公である孤児エミールを比較する研究者がいる。ハック・フィンとエミールは、一世紀以上離れて「生きて」おり、その背景も大きく異なるにもかかわらず、特にルソーの「自然人」という概念、とりわけ生来善良であるという概念に関連して、いくつかの重要な共通点をもっている。本論文の目的は、ハック・フィンとエミール、そしてそれぞれの作者であるトウェインとルソーの思想を批判的に比較することによって、ハック・フィンが(あるいはエミールが)"自然人 "かどうかを問うだけでは得られない両者の関係をよりニュアンス豊かに理解することにある。 ルソーとトウェインの言葉を借りれば、二人の作家は自然と人間社会に対して同じような考えを持っていた。つまり、簡単に言えば、前者は善であり、後者は人間本来の善を腐敗させ、人々の間に偏見と不平等を生み出す悪であるということだ。ルソーはこの信念から『エミール』を書き、社会から隔離された自然の中で行われる注意深く監視された教育が、社会の腐敗に抵抗できる高潔で自信に満ちた人間を育てることを説明し、エミールの例で説明している。ハック・フィンの教育(自己教育)は、社会の中に身を置きながら、すべてを自分で学ぶというもので、エミールとこれほど違うことはないだろう。しかし、ハックは、ルソーがエミールに対して行った教育が意図した通りの人物であることがわかる。つまり、自分の道を進むのに十分な強さを持ち、人々の偏見に影響されない有能で徳の高い人物である。ハック・フィンの生涯に関する記述と『ハックルベリー・フィンの冒険』からの引用は、この研究の大まかな結論を導く。すなわち、ハック・フィンはルソーの自然人のアメリカ版であり、アメリカのプラグマティズムとアメリカの教育へのアプローチを体現したもので、ルソーがエミールに適用したアプローチとは大きく異なっている、ということである。 |
学術論文 | Reexamination of Mark Twain’s Image of Joan of Arc as Susy Clemens in "Personal Recollections of Joan of Arc" | 単著 | 2020.3. | 北九州アメリカ文学研究会7号 (P119-138) | マーク・トウェインの晩年の長編小説『ジャンヌ・ダルクの個人的回想録』(1896)を取り扱った。トウェインの描くジャンヌ・ダルクの先行研究の中に精神医学的観点から論述された論文がなかったため、取り組んだ。分析を行う上で精神医学的観点から論述する意義は複数あると考えた。例えばトウェインの記述から明らかなように、トウェインはジャンヌ・ダルクと自分の長女であるスージーを重ね合わせている。それは精神的疾患の傾向が類似していたからである。スージーの精神病的特徴とジャンヌ・ダルクの精神的症状を比較する意義を提示し、分析した。 |
学術論文 | 『バートルビーの苦難』 | 単著 | 2018.3. | 北九州アメリカ文学研究5号 (P57-76) | 筆者は本稿でバートルビーの人物的特異性に着目した。従来の先行研究では、バートルビーの性格が自閉症に近いことを推察しているものもあるが、十分な論証が行われていない。特に弁護士がとった行動や言動が、バートルビーの精神症状にどのような衝撃を与えたかを、具体的には説明しきれていない。よって本稿では、バートルビーが精神的に追い込まれている過程を特定の場面から考察することによってバートルビーを発達障害の観点から分析する意義を提示した。 |
学術論文 | 『仮想世界に生きるエミリー』 | 単著 | 2017.4. | 北九州アメリカ文学研究会4号 (P67-80) | 本稿ではウィリアム・フォークナーの短編小説であるA Rose for Emilyに登場するエミリーが地域社会で居場所を見つけられず、自分の世界に埋没していく姿に着目した。先行研究にはあまり見受けられない病理学的観点からエミリーを分析した。ホーマーを毒殺したエミリーの罪の重さに着目するのではなく、彼女が妄想ともいえる仮想世界に生きる様子を考察した。過去の父親の名声がすでに効力を発揮しない地域社会の中で、今なお人々の記憶の中に父親の存在が消えてしまっていないと信じているエミリーが現実逃避する事実に着目した。こういった自己優越感や理性が効かない行動は「自己愛性パーソナリティー障害」の特徴と多くの点で一致すると論証した。 |
学術論文 | Mark Twain’s Image of African Americans: Jim as Natural Man in " Adventures of Huckleberry Finn" | 単著 | 2015.2. | 北九州市立大学大学院紀要28号 (P107-135) | 本稿(修士論文の短縮版)では、トウェインの黒人観を検討し、『ハックルベリー・フィンの冒険』における黒人像は本当にゆがめられたものとなっているか、特にジムの描写に着目し、ジムを人種差別の観点からではなく、聡明な一人の「自然人」として探求することを試みた。執筆当時は、ジムが自然人だとする先行研究はほとんどなかったため、その意義を強調している。ミシシッピの自然と一体化して生活しようとするジムの試み、自由への渇望、すでに身についている自然の中で生き延びるための知識、家族愛そしてハックとの友情等に着目しジムを自然人として分析する意義を見出した。 |
学術論文 | 1. “Unique Roles of Tragic Elements” | 単著 | 2014.3. | 北九州アメリカ文学研究会1号 (P106-117) | 本稿ではMuch Ado About Nothingの悲劇に見出せる喜劇的要素を分析した。また、人間の本性は崇高とはいえない腹黒いものがあることも示している。 結論として本稿は、悲劇的な場面から風刺の効いた喜劇的要素を発見することによって人間には二面性があるということを明らかにした。 |
学会発表 | |||||
学会発表 | 「動物論」から再考するトウェインの動物物語 ――“A Dog’s Tale” (1903)や“A Horse’s Tale” (1907)を中心に | 単著 | 2023.10.28 | マークトウェイン協会(全国大会)第27回 <開催場所> 東京大学駒場キャンパス | Shelley Fisher Fishkin 氏は著書Mark Twain’s Book of Animalsの中で「Twainは、個性豊かな動物が登場する物語を多く残した」(1)と述べている。また彼が動物福祉事業を支援する作家であったことも強調している。 これまでダーウィンの進化論がトウェインの動物観に影響を与えたとされ、先行研究においても実証されてきた。確かにトウェインの動物物語を解釈する上で進化論は不可欠だが、その理論だけでは説明がつかない部分がある。そこで本発表はトウェインの動物物語をより深く解釈する上で有用と思われるコンディヤックやジャック・デリダの「動物論」(機械論や人間中心主義から脱却し動物にも心や魂があるとする)の観点からトウェインの短編作品“A Dog’s Tale”(1903)や“A Horse’s Tale” (1907)等を分析した。そして作品中にある動物論的要素を明らかにすることで、作品理解に動物論が有効であることを実証した。 またトウェインの動物観が当時のアメリカにおいていかに革新的であり動物愛護を推進する現代人の動物観にも通じることを検証した。 |
学会発表 | Mark Twain のメニッポス的風刺と「嘘」の倫理 ~短編 "Was it Heaven?or Hell?"(1902)を中心に~ | 2023.3.4 | 北九州アメリカ文学研究会 | 「メニッポス的風刺」はギリシャの哲学者メニッポス(紀元前3世紀)の名にちなんで名付けられた。メニッポスの著作で残っているものはないが、「冥界への旅」について書かれた作品があったとされる。メニッポスの作品は「哲学的な深刻な問題」と「コミカルな要素」を併せ持つ特徴があり、“Serious Smiling”(真面目な笑い)と定義されることもある。ローマの作家ヴァルス(前1世紀)、ローマ帝国初期のストア派哲学者セネカ、そしてギリシャの風刺作家ルキアンがメニッポスの作品に影響を受け、その手法を模倣したことが知られている。カナダの文芸評論家ノースロップ・フライが『批評の解剖学』Anatomy of Criticism(1957)で近年までほとんど論じられることがなかった「メニッポス的風刺」を取り上げ論じた。この形式の最も有名な例は、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』Alice's Adventures in Wonderland(1865年)である。このキャロルの作品はナンセンス的要素、社会風刺的要素そしてコミカルな要素が組み合わされているという点でメニッポス的風刺小説とされている。 本発表ではWas it Heaven? or Hell?におけるメニッポス的風刺が果たす役割と意義を考察した。またトウェインの文学作品では倫理の二面性が重要なテーマになっていることにも着目した。 |
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学会発表 | 「人間のプラグマティズム」 vs. 「サタンのプラグマティズム」 ―マーク・トウェインの No.44, The Mysterious Stranger を中心に― | 2022.12.10 | "No.44, The Mysterious Stranger" をトウェインが影響を受けたであると考えられる、19世紀のアメリカの哲学思想であるウイリアム・ジェームズのプラグマティズム理論という観点から分析することで、トウェインのプラグマティズム的思考がいかに作品中に反映されたかを見ていくことが、この発表の目的である。 | ||
学会発表 | 「"The Adventures of Tom Sawyer"におけるImperfect Childに秘められた才能と 19世紀における新しい子供像の一考察」 | 2021.5.9 | 九州アメリカ文学会 第66 回大会 (Zoom) | なぜかMark Twain(1835-1910)が小説の主人公に据える登場人物は、社会的弱者が多い。Huck Finnは、母親に死なれ、父親からは暴力を振るわれ、まともな食事にもありつけない浮浪児。そしてアフリカ系アメリカ人Jimは、名字も与えられない、人間以下の存在として扱われる奴隷である。一見幸せそうに見えるTom Sawyerでさえ、両親を亡くし、叔母に引き取られる前までは孤児だった。しかし、Twainの小説作品では社会的弱者であるキャラクターたちがヒーローとして活躍し、人気者でもある。実際Twainは実生活でも社会的弱者に共感を寄せ、アフリカ系アメリカ青年のために教育資金を援助したり、視覚と聴覚障害のあるHelen Kellerのための教育資金援助をHenry H. Rogersに要請したりして、彼らの活躍を後押ししている。 本発表はThe Adventures of Tom Sawyer (1876) におけるTom SawyerのADHD (Attention-Deficit/Hyperactivity Disorder)という特異性に秘められた才能(リーダーシップ、問題解決能力など)に焦点を当てる。 興味深いことに、本作品でTomの注意欠陥多動性的行為は複数回描写されている。例えばApple Baumが指摘しているように、本作第7章では “The harder Tom tried to fasten his mind on his book, the more his mind wandered” (一生懸命、心を自分の教科書に集中させようとすればするほど、トムのあれこれの考えは、ますますさまよい始めた。)とADHDの特徴を思わせる文が書かれている。この箇所から推定できることは、Twainもその当時は認知されていなかったADHDの症状に興味を持っていた可能性があるということだ。またTwainがTomの特異性のネガティブな面だけを、あげつらって描写したのではないことも重要である。例としてTomは、普段、注意散漫になりがちだが、ある一つのものに興味を持つと、人並み以上の集中力を発揮する。 ADHDは精神医学の観点からネガティブな面だけに焦点があたってきたが、最新の研究において、Dale Archerが指摘しているように、ADHDの特別な優位性が明らかにされようとしている。Mathew Smithの考え方も、この優位性に着目している。SmithはTomのHeroism(英雄的資質)、Leadership(指導力)、Problem Solving skills(問題解決能力)の原動力はADHDにあるという。ただSmithは原文においてのTom SawyerのADHDの行動癖と優位性について、ほとんど触れていない。 よって本発表では、19世紀当時、“imperfect child”と見なされていた、現代であればADHDと診断されるような症例を示す子供たちに対するネガティブなイメージを打破しうる特性を、いかにThe Adventures of Tom Sawyerが提示しているのか、Tom Sayerを例に検討する。 |
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学会発表 | 『Mark Twain と Ambrose Bierce に共通する悪魔的ユーモア―"The Chronicle of Young Satan" を中心に』 | 2020.9. | 九州アメリカ文学会例会 (Zoom 会議) | アンブローズ・ビアスの悪魔的ユーモアとマーク・トウェインのブラックユーモアには共通点が多くあるにもかかわらずこれまでの先行研究でほとんど取り扱われなかった。トウェインとビアスは同時代人だけでなく親交もあり、思想も似通っている。マーク・トウェインの『サタンの年代記』とビアスの『悪魔の辞典』の定義を中心に共通するユーモアについての分析を提示し、両者の作品を比べる意義を提示した。 | |
学会発表 | 『"Tom Sawyer Abroad" における自然人 Huck Finnと教育』 | 2018.9. | 九州アメリカ文学会例会 (西南学院大学) | 『トム・ソーヤの空中旅行』におけるハック・フィンが自然人として自立的に学ぼうとするプロセスを発表した。例えば学校の授業の中でアメリカの州が地図の中で色分けされているのを見たハックは、実際に各州に色がついていると思っていた。当発表ではその想像力が独創的であるという見解を示した。ハック・フィンをジャン・ジャック・ルソーの自然人と結びつける先行研究は数が少なく、より具体的な分析が必要であることと、その意義を強調した。 | |
学会発表 | 『マーク・トウェインのジャンヌダルク像:自然人的要素の考察』 | 2014.9. | 九州アメリカ文学会例会 (西南学院大学) | マーク・トウェインの『ジャンヌ・ダルクの個人的回想録』を取り上げ、トウェイン版のジャンヌ・ダルクを先行研究には見受けられない自然人的観点から分析する意義を強調した。自然人モデルにはフランスで活躍した哲学者、ジャン・ジャック・ルソーの自然人の特徴を参照した。トウェインはジャンヌを、森の中で自然を謳歌し、妖精を信じるアニミスティックな女性として描写している。さらに他者のことを常に思いやり、敵兵であっても優しい態度で接する姿勢には自然人の特徴である「憐みの心」が表れているということを示す。 | |
その他 | |||||
その他 | 書評:Gary Scharnhorst, The Life of Mark Twain: The Middle Years, 1871–1891(U of Missouri P, 2019) マーク・トウェイン 研究と批評 第22号 | 2024.6.30 | 国際文献社 | ギャリー・シャルンホルスト氏著のトウェインの伝記"The Life of Mark Twain: The Middle Years,1871–1891(中期)"について私(前屋敷)が書評を書いた。 |